大分県の南西部に位置する九重町(ここのえまち)。九重山群に囲まれ自然景観に富んだその町で麻生醤油醸造場は昭和26年から事業を続けている。 逃れられん運命背負った赤ん坊が、東京で学生・社会人を経て九重町に帰ってきた。 農林水産大臣賞を受賞したこともある銘柄”ヤマフネ印”その重圧は並大抵ではない。そんな家業の跡継ぎを決意し現在修行中の彼の心境を聞いてみた。
経験をその後の糧とするかしないかは自分次第
---------まずはじめに大学で4年間醸造学を学んだ後、音楽業界で勤められたそうですが、その時の経験は家業を継ぐにあたり役立つことはありますか?
麻生隆一朗氏(以下、麻生) どのような職業に就いても全くためにならない経験など絶対にないと思います。経験をその後の糧とするのは自分次第じゃないでしょうか。私が前職で学んだ事は「流行への機敏な反応」「消費者の嗜好にあったブランド戦略」「時代に適応する為の自助努力」この3つです。消費者の動向が激しい音楽業界に勤めていたからこそをこれらを学ぶことができたんだと思います。そしてこれら学んできたことすべてこれから家業を継ぐにあたり必要なことだと感じています。昨今、メディアの影響で調味料が脚光を浴びる事例が多くなりました。しかし一度流行したものは、長続きしないというセオリー通り、昨年流行した”塩麹”なんかも最近は目にする機会が減りました。これからの調味料はその年の流行性のあるものを認識しながら消費者の嗜好に合わせることが必須です。その上で、ブランド戦略等々を自助努力していければと感じております。もちろんこれらはあくまで新商品つまり”攻め”の調味料の話で、古くからある弊社製品の「ヤマフネ醤油」や「合わせ味噌」などはしっかりとその味を守り続ける必要があります。
---------家業を継ぐにあたり苦労していることはありますか?
麻生 まだ”継ぐ”というより修行中の身なので、あまり偉そうなことは言えませんが(笑)、中小企業なのですべての基本業務(経理、製造、営業)+α(新商品開発)をこなす必要があります。決まった業務を与えられていたサラリーマン時代に比べ仕事の量は比べ物にならないほど増えましたね。最初の一年は、慣れないこともありフラストレーションが溜まりながらもなんとか業務をこなせたという感じです。今年は家業を手伝って2年目になります。去年より今年と前を見つめながら、業務に取り組み少しずつ成長していきたいと思います。
---------大手調味料メーカーへの対抗策はありますか?
麻生 弊社は価格の面から見ると大手メーカーとの競争力は弱いかもしれません。しかし、それでも愛用してくださる消費者の方々がいるということは”麻生醤油ならでは”の魅力があるのだと思います。まずはこの味を守り続けたいと思います。また弊社は”特産品としての調味料”に重点を置いています。昨今の景気後退と観光客の客層変化(特に韓国、中国系のアジアの方々や若い世代にシフト)が顕著に見られるようになり、安価な商品や販促効果(CM、雑誌等のメディアへの露出)が高い商品が好まれる傾向にあります。弊社の商品がこのような商品群の中でどのようにして差別化を図っていくかが、これからの課題の一つになっています。この課題もレギュラー商品同様その土地の嗜好と文化、風土を商品化して大手メーカーとのブランド差別化を図りたいと思っています。
本物を醸す
---------今後の意気込みを教えてください。
麻生 ”本物を醸す”です!その為には、地域の方々の協力が必要不可欠です。地元大分の新鮮な自然素材を使用し「安心・安全・美味」をスローガンに掲げた商品開発、営業を精力的に行って参ります。そして九重町の麻生醤油から大分の麻生醤油へと脱皮しながら企業の成長並びに地域の担い手になる様な企業を目指していきたいと思います。
麻生醤油醸造場
住所:〒879-4601 大分県玖珠郡九重町大字右田2582-2
電話:0973-76-2015
FAX:0973-76-3386
E-mail:asou-shoyu@oct-net.ne.jp
麻生隆一朗
あそう・りゅういちろう|1988年生まれ。東京農業大学醸造科学科卒業後2年間、ディクスユニオンの店員の傍ら新人アーティストのマネジメントを行う。現在地元大分県に戻り家業を継ぐため修行中。
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